この研究の目指すところ

研究の趣意と主宰者のプロフィールを紹介しています

総合研究大学院大学研究プロジェクト

 「現代社会におけるエイジングの変容」  代表 野村雅一

趣意

「エイジング」といえば一般に老化や老いのことと考えられがちだが、正確には、エイジングは誕生の瞬間にはじまり、成長し、やがて死をむかえるまでの人間の生の時間的プロセスである。そのエイジングには肉体的側面のほかに、精神的側面や社会的、文化的側面がある。加齢による肉体的変化とともに、精神的成熟や社会的地位の変更、生活スタイルや自己意識の変容が生じる。

 エイジングのこれらの諸側面の変化の歩調は必ずしも同期せず、また個人差も大きい。エイジングの諸側面のこのいわば跛行性は今日いっそう急激に顕著になっている。それは具体的にはたとえば、本応募研究の代表者の野村が編著書『老いのデザイン』に書いた「大人になれない」とか「老いられない」という悩みとなってあらわれる。日本をふくめ先進産業社会で実質的な成人年齢がどんどん上ったりしているように、肉体年齢と精神的・社会的年齢の釣り合いをとることが困難になっており、自分の実年齢に違和感を抱く人が確実に増えている。

 エイジングは一方で、世代間関係と密接なかかわりをもつ。どの社会でも、立つすわるなどの起居の型や言語など、文化の少なくとも基本的な部分は、親や祖父母の世代から子や孫の世代に伝えられ写し継がれてきた。ところが近年、上の世代から下の世代へのこのような文化伝達の流れにいわば逆流現象が目立つようになった。これが本研究のタイトルにある「文化伝達の逆流現象」である。

 一言でいえば、子が親の世代を模倣するかわりに、親の世代が子の世代を真似るという現象だが、日本人のあいだでのそのもっともいちぢるしい例はヘアカラー、いわゆる「茶髪」だろう。これについては、代表者の野村がすでに「スタイルとしての身体―Driving my Body」でくわしく考察しているが、90年代に女子高校生からはじまった茶髪はいまや母親どころか祖母の世代にまでひろまってしまった。ヘアカラーにかぎらず、ギャルとよばれる10代の女性たちのファッションスタイルは日本人女性全体のファッション感覚に決定的な影響をおよぼした。今日、東京の路上では「コ(古)ギャル」といういい方さえ生まれている。コギャルとは数年前まで一部の中高生のことをいったが、そのコギャルのスタイルで街を往く中高年の女性を昔
のギャル、コギャルとよぶのだそうだ。

 文化伝達のこうした逆流現象は、もちろんファッションだけではない。携帯電話やメールのような通信手段やその言語をはじめ、生活スタイル万般、さらに価値観まで、むしろ親の世代が子の世代から取りいれて共有しようとしている。今の日本では少しもめずらしくない「ともだち母娘(おやこ)」はその典型例といえるだろう。
 一方で、10代の性経験の低年齢化が報告され、子どもの化粧や飲酒がひろまる様子からは、大人だけが享受すべきと考えられている特権的行動に子どももあずかろうとする徴候をみるべきかもしれない。フランスの歴史家、フィリップ・アリエスの有名な研究『子どもの誕生』によると、子どもという社会的カテゴリーはヨーロッパ史では17世紀ごろ生まれたとされる。誕生したものなら死もあるはずだろう。われわれはいま、エイジングの変容の結果として、子ども/大人という近代的対比概念の再検討すら求められているのではないか。
近代の学校制度がエイジングに及ぼしてきた影響も改めて見直してみる必要もある。 
 
1990年代から、時代の変化のスピードが加速し、本来は加齢にともなうはずの経験がまたたくまに価値を失うようになってきている。そのため、親の世代は自分たちの経験や知識が、時代を越えて次の世代に伝えるだけの値打ちをもつものかどうか自信をもてない。馬齢を重ねるといういい方はもはや謙譲表現ではなく、今日のわれわれのエイジングの現実のきわめて深刻な一面である。

代表者について

野村雅一(のむらまさいち)

総合研究大学院大学理事・副学長、葉山高等研究センター研究員、京都外国語大学客員研究員、国立民族学博物館名誉教授。文化人類学専攻。
広島県生まれ。京都大学文学部卒。同大学人文科学研究所助手などを経て、国立民族学博物館教授、総合研究大学院大学教授。その後、現職。南ヨーロッパを主なフィールドにして、身ぶりやしぐさを含む人間のコミュニケーションのあり方を研究する。『ボディランゲージを読む』(平凡社ライブラリー)、『身ぶりとしぐさの人類学』(中公新書)、『技術としての身体』(大修館書店)、『しぐさの人間学』(河出書房新社)などの身体に関する著書のほか、最近の編著に『老いのデザイン』(求龍堂)がある。
近年は、社会の世代間関係の研究をおこない、現在のエイジングの研究に至る。

代表者について、詳しくはこちら(国立民族学博物館のページ)をごらんください。