研究会のあらまし > 第3回 ライフコースの変容――大衆長寿社会のなかで――
2006年10月21日に総合研究大学院大学葉山高等研究センターで「エイジングの今を考える会」第3回研究会をおこないました。講師は社会学者の井上俊氏(甲南大学教授・大阪大学名誉教授)でタイトルは「ライフコースの変容――大衆長寿社会のなかで――」でした。
野村 この春わたしは民博を退職して、京都外国語大学で教えることになりました。研究室の引っ越しをしたのですが、なんせ20年間も研究室を変わってなかったものですから、大変な作業でした。そうしたら本の山の底のほうからデービッド・プラースの『日本人の生き方――現代における成熟のドラマ』(1985年、岩波書店)という本をみつけて、おもわず読みふけってしまいました。
わたしたちは、ひとりひとりの人間がどのように時間をたどって生きていくか、誕生から死までのプロセスを考えるということが、これからの日本人にとって切実な問題だろうということで、このエイジングの研究をはじめたわけですが、この本を読み直してみると、まさにこちらが知りたいようなことを研究している。プラースは文化人類学者なんですけども、日本の都市、それもわたしの住んでいる関西(正確には、阪神間)の中流家庭の人たちへの聞き書きを中心にした研究なんです。その翻訳をされたのがきょうのゲスト、井上俊さんです。井上さんはプラースさんご本人とも親しかったそうですので、ぜひお話をということで今回お願いしました。
【大衆長寿社会の到来】
井上 今日の報告のタイトルを「ライフコースの変容」としました。以前は人が生まれてから死ぬまでのサイクルということで、ライフサイクルという言葉が使われることが多かったんですが、社会学の方では「ライフサイクル」はあまり使われなくなって、近年はだいたい「ライフコース」を使っています。それはなぜかというと、ライフサイクルというのは基本的に個体が生まれて新しい世代を作って死んでいくという規則的なサイクル、普遍的なサイクルを問題にしている生物学的な概念です。ところが人間の場合は誕生して死ぬまで、人の生き方というのは社会や文化によっていろいろで、多様性があります。同じ社会のなかでも、階級や職業によって、あるいは男性と女性という性別によっても違います。さらに、ある程度は個人が選択できます。そういう面に注目してライフコースという言葉を使うことが多い。今日とりあげるプラースの研究も、1980年に出版された本なんですけど、その頃から盛んになった社会学のライフコース研究というものを視野に入れて書かれています。
原題は『ロング・エンゲイジメント』というんです。このロング・エンゲイジメントというタイトルは日本語に訳すのがむつかしい。文字通り訳すと「長い関わり」ということなんですが、出版社がそんなタイトルでは売れないというので、『日本人の生き方』というわかりやすいタイトルにしました。ただ「ロング・エンゲイジメント」というのはなかなか含蓄のあるタイトルで、人生というものは他者や社会との長い関わりのなかにあるんだというだけでなく、比喩にもなっていまして、演劇などの長期公演、これもロング・エンゲイジメントというんですね。人生というものは、他者や社会との長い関わりであると同時に、一種の長期公演、長期にわたる舞台上での共同のパフォーマンスでもあるという二重の意味をプラースはこのタイトルにこめています。
プラースがこういうテーマを取り上げた理由としては、「大衆長寿社会」の到来ということがあります。もちろん昔から長生きする人はいたわけですけど、長生きするかどうかということと社会階層との間にはっきりとした相関があった。だいたい富裕な階層ほど、平均的には長生きした。でも、1970年代ぐらいから階層には関わりなく、みんなが長生きするようになって、いわゆる大衆長寿社会が到来します。そうなると、長い老年期にどう備えるかとか、成熟とはいったいなんなのかとか、あるいは人間は成人期においても成長するのかとか、そういうことが問題になってくる。プラースのひとつ前の世代の人類学者たちはたいてい、子どものしつけ方によって、人びとの基本的なパーソナリティ構造が決まってくると考えて、大人になってからの成長とか成熟といった問題についてはあまり考えなかったんですが、大衆長寿社会になってくると、そういう問題を考えざるをえなくなってくる。これはいわば人類学、社会科学における新しいテーマを構成しているのではないかとプラースは書いています。

